研究紹介
走査型非線形誘電率顕微鏡
(SNDM)の原理
走査型非線形誘電率顕微鏡は私たちの研究室で開発中の新規でユニークな顕微鏡です。英語ではscanning nonlinear dielectric microscopyといい、略してSNDMと呼んでいます。SNDMは強誘電体の分極分布をナノスケールで観察できる顕微鏡です。SNDMは既に実用化されており市販もされていますが、現在もさらなる分解能向上やSNDM原理をベースに様々な分野への応用を進めています。まずはその原理を簡単に説明しましょう。
非線形誘電率とは?
物質は電気の伝えやすさに関して導体、半導体、絶縁体に分類されます。絶縁体は誘電体とも呼ばれ、外部から電場を印加しても電流は流れません。しかし、電流は流れなくても、クーロン力により物質内部での電荷の偏りを生じることが知られています。これは物質を構成する原子や分子は、原子核、電子、イオンといった電荷を持った粒子から構成されるためです。この現象は分極と呼ばれます。外部電場に対する電荷の偏りやすさは、物質によって異なり、これを特徴付ける量は誘電率と呼ばれます。
分極をイメージするため、正の電荷と負の電荷がバネでつながれている状況を考えます。ここでは強誘電体のように外部電場がゼロでも分極を持つ(自発分極)物質を想定します。外部電場を増加させると、正負の電荷はクーロン力を受けるため互いに反対の向きにバネの復元力と釣り合う位置まで変位します。外部電場が小さいとき、その変位量は外部電場に比例します。実は誘電率はその比例定数に相当するものです。しかし外部電場が大きくなるとどうなるでしょうか?
誘電率を定数とみなすのは、一種の一次(線形)近似であり、現実には誘電率は外部電場に依存して変化します。このような物質の外部電場に対する非線形応答を次式のようにテーラー展開を用いて表すとき、各非線形項の係数ε3、ε4、…を非線形誘電率と呼びます。ε2は線形の(通常の意味での)誘電率です。SNDMはこの非線形誘電率を測定する顕微鏡です。
非線形誘電率を測定すると何がわかるでしょうか?実は、奇数添字の非線形誘電率ε3、ε5、…は強誘電体の自発分極の向きに依存して符号が変化することが知られています(ご存知の方は強誘電体の右図に示すD-Eヒステリシスループを思い出してください)。つまり、非線形誘電率を測定できれば強誘電体の自発分極の向きがわかるのです。
どうやって非線形誘電率を
はかるのでしょうか?
非線形誘電率を測定する一つの方法は、その物質を用いたキャパシタを作り、電圧に対する容量の変化を測定する方法です。簡単のために図のような平行平板キャパシタを考えます。外部から交流電場E=Epcos ωptを印加したとき、元の静電容量に対する微小な静電容量変化の割合は、右の図内の式で与えられます。この式から、印加した交番電界に比例して変化する成分を抜き出すと最低次の非線形誘電率ε3が測定できることが分かります。また、もし印加交流電界の2倍の周波数で変化する成分を抜き出すと更に高次の非線形誘電率ε4が測定できます。しかしながら、その誘電率の変化は極めて小さく、一般的には元の値の100万分の1(10の-6乗)程度に過ぎません。
そんな僅かな静電容量変化を精度良く測定できるのでしょうか?
実は、周波数変復調(FM)を利用すると、それが可能となります。求めたい静電容量の変化を周波数の変化に変換するためには、測定する試料にコイルを接続してLC共振回路を構成します。このLC共振回路の共振周波数fは、静電容量CとコイルのインダクタンスLを用いて次式のように表せます。
したがって、キャパシタに電界がかかったときに非線形静電率の存在によって静電容量が僅かに変化すると、その変化は共振周波数の変化に変換されることになります。いろいろな物理量を測定する装置がありますが、周波数の測定は比較的安価な装置で、高い精度の測定を実現することができます。また、周波数はミキシングすることで、変化している桁のところだけを抜き出して計測することができます。これは元々の周波数が高い場合でも、小さな周波数変化が測定できることを意味します(10GHzのBS放送の信号で約1KHzの音声信号の情報を抽出することができることと同じです)。
非線形誘電率の2次元的な分布を
測定するには?
分極の2次元分布を測定するためには探針(プローブ)を用います。つまり、先ほどの平行平板コンデンサの極板の一方を金属の探針に置き換え、探針で強誘電体の表面をなぞれば(走査といいます)よいのです。場所毎の周波数変化から、ε3の2次元分布を描くことで、分極分布が得られます。したがってSNDMは走査型プローブ顕微鏡の一種として分類することもできます。SNDMのプローブは、リング状のグランド電極と研磨した先端がナノメートルのスケールで鋭く尖った探針、それに外付けのLとCが帰還増幅器に接続された回路構成となっています。金属探針の先端から試料を貫通してリング電極へたどる電界のパスがありますが、これが容量(キャパシタ)となります。この容量と、LとCにより発振周波数が決まる発振器が構成されています。試料の誘電率が変わると探針とリング電極間の容量が変化するため、発振周波数が変化します。当研究室で開発したSNDMのプローブは、様々な工夫により、実に10のマイナス23乗 ファラドという、極めて小さな容量変化を測定することが可能にしています。
SNDMの装置構成
SNDMの装置全体の構成を下図に示します。ステージとリング(および探針)間に交流電界を印加すると、探針直下の静電容量が変化し、さらにプローブの発振周波数も変化します。この周波数変化を伴った信号(FM信号)は復調器によって普通の電圧が変化する信号に変換します。この電圧信号から印加電界と同じ周波数の信号成分を抽出するのですが、このときにはロックインアンプという装置を用います。ロックインアンプによって検出された信号の符号がプラスかマイナスかが分かれば、今まで述べてきた原理によって強誘電体の分極がプラスの面なのか、マイナスの面なのかが分かることになります。さらに、2次元的な分極の分布が知りたい場合には,プローブで試料表面を走査しながら各点で分極の向きを調べ、それらのデータを計算機に取り込んで分極分布を可視化することができます。
原子間力顕微鏡(AFM)とSNDMの併用
および間欠接触SNDM
SNDMに限らず、上述のようにプローブで試料表面の微小な領域を走査しながら、表面の各位置でその状態を局所的に検出し、得られた物理量などを位置毎にマッピングすることで同領域の観察像を得る一連の顕微鏡技術は走査型プローブ顕微鏡(Scanning Probe Microscopy; SPM)と呼ばれます。SNDMもSPMの一種として位置づけられます。SNDMは他のSPMと併用可能であるため、複合的な試料評価が行えます。代表的な例として、原子間力顕微鏡(AFM)とSNDMを組み合わせた場合を下図に示します。AFMでは、自由端に先鋭な探針を有するマイクロカンチレバー(片持ち梁)をプローブとし、探針先端と試料表面の間に働く力が局所的に検出されます。試料表面を走査すると、表面の凹凸に応じて力が変わるため、検出される力を一定に保つように試料の高さをフィードバック制御することで形状像が得られます。導電性コートされたカンチレバーを用いれば,同時にSNDM観察を行うことが可能になり,形状像と自発分極分布像を同時取得することで、表面構造と自発分極の関連を議論することが可能になります。また、AFMで探針と試料の接触状態を制御することは、SNDM観察の条件を一定に保つことや試料と探針の損傷を防ぐことにもつながります。このように、AFMとSNDMの併用は非常に有効です。
AFMには様々な動作モードがあります。SNDMと併用されるのは主としてコンタクトモードAFMであり、既に多くの試料に適用実績があります。一方で、コンタクトモードAFMでは、探針を試料に常に接触させたまま走査を行うため、探針と試料に大きな水平方向の力が働きます。このため、柔らかい試料を損傷したり、基板上に吸着させた試料を引きずったりなどの問題を生じます。また、特に、高分解能化のため、通常のものと比較してさらに先鋭な探針を用いる場合、探針が損傷しやすくなります。このような場合、探針を間欠的にのみ試料表面に接触させる間欠接触AFMをSNDMと併用することが有効です。探針の先鋭さを保持しやすくなるため、高分解能化への寄与も期待できます。間欠接触AFMでは、水平方向に働く力が劇的に減少するため、探針や試料の損傷を大幅に抑制できます。なお、SNDMで検出される静電容量変化は探針が試料表面からわずかにでも離れると急激に減衰するため、間欠接触AFMとSNDMを併用する場合には,接触時間を十分にとる、適切な信号検出法を用いるなどの工夫が必要となります。
∂C/∂z-SNDMによる
線形誘電率イメージング
従来型のSNDMでは主に非線形誘電率のイメージングを行いますが、測定モードを少し変更することで、ほぼ同じセットアップによって線形誘電率のイメージングを行うことも可能です。そのセットアップを下図に示します。
従来型のSNDM(∂C/∂V-SNDM)では上述のとおり測定試料に交流バイアスを印加し、その時に生じる静電容量変化を検出しますが、∂C/∂z-SNDM法では交流バイアス印加の代わりにカンチレバーを機械的に振動させ、そのときに生じる静電容量変化を検出します。誘電体サンプルの直上でカンチレバーを上下動させると、カンチレバーの先端がサンプル表面に近づいたときと離れたときとで静電容量が変化しますが、その変化の大きさはサンプルの誘電率に対応します。したがって、カンチレバーの振動振幅を一定に保ちながら、サンプル上の各点における静電容量変化の大きさをSNDMプローブと復調器を用いて高感度に測ることで、サンプルの誘電率の面内分布の画像を取得することができます。この方法による観察の一例を下図に示します。
強誘電体のC-Vカーブマッピング
通常のSNDMによる強誘電体の観察では静的な分域構造が観察されます。しかしながら、強誘電体のアプリケーションによっては、静的な分域構造だけではなく、分極がどのように反転するかといった分極反転のダイナミクスに関心がもたれることがしばしばあります。SNDMはこのような分極反転のダイナミクスに関する研究にも有用です。
静的な分域観察の際には分極反転電圧以下の微小な交流バイアスを印加しますが、分極反転のダイナミクスを調べる際には、分極反転電圧を超える比較的大きな振幅の交流バイアスを印加します。すると、SNDMのセットアップにおけるFM復調器の出力には、分極反転に伴う大きな静電容量変化に対応した応答波形が観察されます。このとき、横軸に印加交流バイアス、縦軸にSNDM応答信号をとってプロット(C-Vプロット)すると、強誘電体特有のバタフライ状の曲線が描かれます。このバタフライ曲線を詳細に解析することによって、強誘電体のナノスケールでの分極反転に関する様々な情報を引き出すことができます。
SNDMの原理の説明は以上です。当研究室にはこの他にも様々なSNDMを開発していますが、基本はどれも同じです。それでは、引き続くページでは、磁気記録を超える記録密度を達成する強誘電体プローブデータストレージ、原子双極子モーメント観察が可能な超高真空非接触SNDM、SNDMを応用した電子デバイス計測について紹介します。
参考書籍
SNDMの原理から応用まで詳しく解説した本が出版されています。
- Paperback ISBN: 9780128172469
- eBook ISBN: 9780081028032